2017年3月10日金曜日

伏見蚊軍記


眠たしと思ひて臥したるに
蚊の細声にわびしげに名のりて顔のほど飛びありく
羽声さへその身のあるほどにこそ
いとにくけれ 『枕の草紙』
夏の夜の寝苦しさに拍車をかける蚊。
痒さもさることながら あの羽音は堪らない。思わず明かりを点けて仇敵を目を凝らして探すが こちらが攻撃の姿勢を見せると、何処かに隠れてしまう。手強い。
蚊について書かれた記録は多いが今回は『宗長手記』から。
連歌師宗長は駿河の生まれ、宗祇に師事して連歌を修行した。
旅をすみかにする ような人生を歩んだ宗長。大永六年にも駿河と京都を行き来ししている。宗長七十九歳。
高齢でこの活力には驚くが、この五年間で三度目の上洛。しかも翌年も上洛をしている。
そんな宗長の大永六年六月十五日の記述。
この日、建仁寺の僧達と対面した宗長は夜に伏見の宿に入った。
「伏見津田聚情軒一宿。桑風呂、腰痛養生、やがて平臥」
桑風呂は桑の葉などを沸かした薬風呂。宗長は腰痛の他、脚気も 患っていたようである。

「夜に入りて、園の竹に陣どる蚊ども、大なるちいさきも多打いで、家中にみちみち」
寝床に入っている宗長に蚊の大軍が襲いかかってきた。

「蚊の大将軍勢時のこゑただ雷のごとし」
宗長はこの蚊の襲来の時の事を軍記風に語っている。面白い!
蚊の羽音を鯨波に例え、雷のようだと表現する。
「蚊火を立、いかにふすぶれども、おもてもふらずこみ入、 古紙張の城はらふかたなく、夜もすがら団扇の粉骨もかひなし」
迎え討つ宗長は蚊帳の城に籠城。
籠城兵の武器はは蚊遣火と団扇である。 懸命に防戦する宗長勢、しかし蚊勢はものともせずに責め寄せてくる。 危うし宗長。
「暁がたにおもへば、これもうき世中にやと観じて」
蚊を追い払う事は出来なかった。
宗長にとって寝苦しく、長い夜であった。
「くれ竹のしげきふしみの蚊のこゑやはらふにかたきちりの世中  夏のみじかき比も、あけぬ夜のここちぞせし」
この頃の蚊対策は「蚊遣火」と「蚊帳」であった。
蚊遣火は蓬、榧、杉、松などを火にくべて燻した煙で蚊を払うもの。 蚊取り線香のような優しい物ではなく、ぼうぼうと煙を立てたので、 虫の前に人間がむせかえるような代物であった。 蚊帳は宗長の時代では普及が進んでおらず貴重品であったので、身分の高い者しか 利用出来なかった。関白道平が献上したり、足利義尚が所望したという記録がある。
『春日権現霊験記』にも蚊帳が描かれているが、それには貴人が蚊帳の中で寝て、 他の者は蚊帳の外で寝ている様子が描かれている。
当時蚊帳は絹製の高級品、松永久秀が支払った蚊帳代は千五百疋であったという。
蚊帳が一般に普及するようになるのは近世以降、天正年間に入り麻製の蚊帳を近江商人の西川甚五郎 が売り歩き、江戸時代にようやく夏の風物詩となっていく。 宗長がこの時使った蚊帳は紙製の安物の蚊帳。通気性が悪く暑苦しい代物であった。
蚊帳で寝た幼い日の記憶が蘇える。

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